「酒は百薬の長だから、ほどほどに飲めば健康に良い」と言う話を良く聞きませんか?
づ~っ~と信じて疑うことはありませんでした。
ある本に出会うまでは!
妻にも少量のお酒は健康に良いのだから、と勧められて
ついつい飲み続ける日々を送っておりました。
「酒は百薬の長」は酒税のためのキャッチコピーだった!
「酒は百薬の長だから、ほどほどに飲めば健康に良い」と言う話を良く聞きます。
その言葉を信じてついつい、飲んで、習慣化してしまい、やめられない!
そんな自分が本当に良いのかなと思いこの言葉の由来を
調べて見ました。
なんと!
「酒は百薬の長」は酒税を創設した時の、
新王朝の皇帝・王莽が発した、政府の酒税のためのキャッチコピーだった!
「酒は百薬の長」という名言の出典は、中国の歴史書『漢書』の「食貨志(経済に関する記録)」に確認することができます。「酒は百薬の長」は、新王朝の皇帝・王莽が発した、政府の専売事業に関する詔の中の一節です。
「酒は百薬の長、嘉会の好」と記されており、現代語に訳すと「お酒はたくさんの薬に勝るもので、めでたい集まりにふさわしいものである」というような意味です。問題は、この後です。
同じ詔の中で、酒のほかに塩と鉄についても記載され、それぞれ酒と同じくらい、その素晴らしさをほめたたえているのですが…最終的に何が言いたいかと言えば「素晴らしくて重要だから、これらは政府の専売事業とする」という内容なのです。要は、自分を筆頭とする政府で、儲かる物資の利権を独占するよ、という宣言です。
王莽といえば、日本の歴史物語『平家物語』の有名な序章『祇園精舎』にも、その名が登場します。「ものすごく調子に乗った傲慢な為政者・平清盛」を真打として登場させる前座的に「海外にもいた、似たような強烈な悪い独裁者の例」的に、「新の王莽」と挙げ連ねられるのです。
紀元前生まれの中国の皇帝の悪評が、1000年後の外国でも知られ、語り継がれるとは…。悪評を伝聞した人々の遺恨と執念を感じてしまいますね。
「酒は百薬の長」というフレーズの初出は、中国の後漢の時代に編さんされた歴史書『漢書』の「食貨志第四下」です。
時は前漢と後漢の間、王莽(おうもう)が帝位を奪い「新」の国を建てると、塩・酒・鉄を国家の専売制にしようとしました。
このときの命令の中に出てくるのが、「塩は食肴の将、酒は百薬の長、嘉会の好、鉄は田農の本」という一節です。
つまり、塩と酒と鉄は生活するうえで重要なものだから国営で販売する、という専売の理由づけとして挙げられた文言で、医学的な知見に基づいた言葉ではありませんでした。
しかし、酒の専売をはじめ王莽の政策はことごとく失敗したとされ、新はわずか15年で滅んでしまいます。
また、「酒は百薬の長」と言ったら「されど万病の元」と返されたという方もいるかもしれません。
この付言の原典とされているのは、兼好法師が著したとされる『徒然草』です。
その第175段には「とはいへど、万の病は酒よりこそ起れ」とあります。
これ以降、日本では「適量ならば、飲酒は健康に良い」という意味で「酒は百薬の長、されど万病の元」というフレーズが定着しました。
古代中国の政令の一節が、およそ1300年もの時を経てアレンジされ、おなじみのフレーズとなっているというのは興味深いですね。
あ
禁酒は出来るかな
この「酒は百薬の長」がキャッチコピーだったのを知って
そして
ある本に出会って
禁酒を決意しました、その本についてと禁酒について
次回のブログに書きます。